中村 将大
教育福祉学類1期生
企画制作会社
卒業してからは、大学や企業などの広報に関する企画制作会社にいます。そこで僕がしているのは、どうすれば大学や企業の魅力を届けられるのか考え、パンフレットやWebサイトを作って発信することです。その大学や企業の魅力って何なのかってところから考え抜いて、それをカタチにするというのは、とてもクリエイティブで楽しいです。が、同時にとっても怖いです。例えば大学のパンフレットを作るとすると、僕が何を魅力と考えるか、それをどう発信するのか、そういった一つ一つの思考と選択でその大学のイメージが変わってしまいます。イメージは遅かれ早かれ実際の形を変えていくと僕は思うんです。つまり僕が考えてカタチにしたイメージが、実際の大学のあり方にまで影響していく。とっても大きな責任を感じながら仕事をしています。
―教育福祉学類への入学を決めたきっかけは?
きっかけは、、、もともと宇宙飛行士になりたい、というか宇宙に関わりながら生きていきたかったんです。府大は宇宙系の研究とかしてて、それで高1のときに府大に行くことを決めていました。けれどその後おじいちゃんの介護が必要になり、福祉というか「支援」みたいな、「誰かを助ける」ってものすごく大切だぞと思い立ち、それで府大のなかに福祉系の学部ないかなと探してみたら、ちょうど「教育福祉学類」っていうものが新しくできると知り志望しました。単純な高校生でした笑。
結果的に教福で学んだことで「支援」や「福祉」、それに「教育」という考え方かガラリと変わりました。どう変わるかは、教福で学んでみて実際に感じてください。、、、「助ける」というのとはちょっと違うんです、たぶん。
―学生の頃の中村さんは?
UNESCO/ESDに関する高校生の国際会議に大学生という立場から参加していました。世界中から高校生世代が集まり持続可能な未来について考え合う国際会議で、その運営を日本の高校生が担いました。僕はそのサポートという立場で関わっていました。そこでなによりも「教育」という考え方が変わりました。先生が高校生に先生の正しさを教えることではない。大人がどう学び生きているのか、その姿勢を示すことが大事なのだと思います。
あと、教育福祉学類が大好きだったので、その魅力をもっといろんな人に知ってほしいなーと思い、いろいろしてました。教育福祉学類って、教育福祉ってこんな感じだよって伝えたくて学生だけでシンポジウムなんかもしてみました。改まるとまあまあズタボロなものだったと思いますが、学生だけで必死で教育福祉ってなんなのか考え、どうやったら伝えられるか試行錯誤し、やり遂げられたのは、いい経験でした。
―卒業論文はどんなテーマ?
『「意味」に広がる大学〜「機能主義」の現実を脱するために〜』
みたいな、めっちゃカッコつけた卒論を書きました。
みんな卒業するために大学に入学してくるよなー、大学卒業して良い就職するのがゴールになっているよなー、、、大学って卒業するために、良い就職するためにあるんじゃなくない?ってのが僕の卒論の問題提起です。もっと大学そのものに「意味」があると思うんだよなーと。
そもそも「何かのために必要だから」とか「これを学ぶことが役に立つ」とかそういうシガラミや抑圧からもっと自由に学びたいなと思ったのがきっかけです。もっとみんな楽しく学ぼうよって言いたくて、必死に書きました。
最近読み返しましたが良いこと書いてました笑。
―これからしたいことは?
いつになるか分かりませんが、中村なりの「大学」をつくりたい。
―最後に、中村さんにとって教育福祉学類とは?
エネルギー源です。
教福にいると中村のイキイキ度がアップします。
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